シーズンに向けた意気込みをライターの前田成彦様にインタビューをしていただきました!
最後の5人目は、チームを引っ張る大黒柱 主将 #88 TE 西川裕亮選手です。
【フットボールのためなら何でもやる。コーチから選手、そしてキャプテンへ。】
#88/62 TE/OL 西川裕亮(日本通運株式会社豊中支店倉庫営業2課 主任)

立命館宇治高~立命館大で活躍し、高校時代は主将、大学では副将としてチームを引っ張った西川。大学4年で甲子園ボウルに出場し、勝利。ライスボウルでも勝って日本一に輝いた。この年の立命館大は今のところ、学生で日本王者になった最後のチームだ。
卒業後は日本通運に入社し、アサヒ飲料チャレンジャーズの一員となる。だが1年目のシーズンで、膝の前十字靭帯を断裂。2年目に復帰したが、思うようなプレーはできずに引退。いったん、プレーに見切りをつけた。
「それでもフットボールは好きなので、そこから数年は高校に教えに行ったりしていました。そんな時、サイドワインダーズにいた立命時代のチームメイトに、コーチとして来てほしい、と声をかけられた。それが入ったきっかけでした。2015年のことです。」
もちろん立命館よりもアサヒ飲料よりも、チームの環境ははるかに劣っていた。決まったグラウンドはなく、チームの人数も少ない。選手のキャリアもレベルもバラバラ。最初は驚いたが、それが逆に面白く感じるようになっていく。
「立命館やアサヒ飲料にはいろいろやってくれるスタッフやマネージャーがたくさんいるし、練習も完全に管理されている。でもサイドワインダーズにスタッフは少ないし、練習メニューももちろん自分達ですべて作る。一番実感したのはお金の管理ですね。今までそういったことを気にした経験がなかったのですが、今はグラウンド代やテーピング代はもちろんのこと、アイシングする氷だって自分達で買わなくてはいけない。もしもケガをせず、アサヒ飲料でそのままやっていたら気づけなかった多くのことに、たくさん気づくことができました。強豪チームにいたらわからなかったことをたくさん知ることができ、選手としても社会人としても大きく成長できたし、視野が広がった。
それと驚いたのが、金の卵のような選手がいること。ちゃんと教えれば日本代表に送り込めるぐらいのダイヤの原石が、うちのようなチームにもいるんです。Xリーグで活躍している2部や3部の大学出身の選手は意外と多くて、彼らはフットボールを教えてもらったことがない。ちゃんとスキル教えてあげれば日本代表に送り込めるような選手がたくさんいる。すごく面白いなあと思いました。」

まずはコーチとして入団。だが折からの人数不足もあり、練習台としてスタイルする機会が増え、徐々にプレーの楽しさを思い出していく。コーチとしてプレーコールを出しつつも、スタイルし、ゴール前などの限定されたシチュエーションで選手として出場するようになった。
「今年からはコーチでなく、選手としてもう一度やってみよう」
決意したのは、チーム入団3年目となる2017年のことだ。
「チームは入った年にX1に昇格したのですが、翌年再びX2に降格しました。その時に、何か自分なりにチームを支えたいし、何より、もう一度X1に上がらなきゃいけない。そう思い、キャプテンに立候補しました。」
社会人2年目で負った大ケガの影響はもちろんあった。5年近いブランクもあり、筋力もフィジカルも低下。昔のようなプレーはできない。何より、もう一度負傷する怖さが抜けなかった。そして、コーチとしてうるさいことを言っていた自分が、キャプテンとして周りから見られる立場になることへのプレッシャーも相当だった。
しかしこの年、西川はTEとして躍進の原動力となり、チームは目標としていたX1再昇格を果たしたのだった。
そんな西川は日本通運に勤務。現在は豊中の倉庫で営業職を務める。
「入社当初は奈良、次が岸和田で、豊中は3カ所目です。人を動かす、という意味でもフットボールと仕事はよく似ていますね。人材マネジメントという意味で、フットボールの経験は仕事にめちゃくちゃ生きています。いろいろなタイプの人がいるため、一つの言葉に対する解釈は人それぞれ。人によって受け止め方がまったく違うからこそ、自分が発する言葉と、伝え方を大事にすること、そして相手の言うことをしっかり聞くことが大切だと実感します。」
西川がフットボールから最も学んだのは「謙虚に生きる」ことと、「一生懸命、必死でやる」こと、そして「周囲の人間を大事にする」ことだと語る。それらを自分に教え、多くのものをもたらしてくれたフットボールに恩返しをしたい。その気持ちが今の自分を突き動かす。
「多分ほとんどの人が知らないのですが僕は高校時代に一度辞めさせられたことがあるんです。高校1年の時に、やんちゃで先輩に噛み付いてチームに置いておけないということで辞めさせられたことがあるんです。その時の監督と顧問が「もう一度チャンスをあげるから頑張れ」ということでフットボールに戻してくれた。そこから僕は一生懸命やらないといけないな、周りの人間も大切にしなきゃいけないことを教えてもらって。やっぱりフットボールに助けてもらった。

だから、フットボールのためだったら自分はどんなことでもやります。大学とアサヒ飲料時代はセンターでしたが、一昨年はDL、昨年はTEをやりました。ーム事情によってはそうですね。でもつべこべ言ってられない。やると言われたところを一生懸命があります。体が動く限りは。それが僕の仕事なので。
今やフットボールは自分の生きがい。フットボールをやっていなかったら今の自分は絶対にいないし、ここまで成長できなかった。そして、サイドワインダーズで戦う今が、これまでのキャリアの中で一番楽しい。チームの皆でよく『もしフットボールが無かったら何をする?』と話すのですが、まったく想像できません。フットボールは自分の生きがいそのもの。本当に、フットボールが大好きです。」
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